菜の花の大学図書館日誌
理系出身だったことを忘れかけている司書・菜の花の、大学図書館な日々。
研修2日目―心に思い描く理想形が重要
- 2010/07/08 (Thu)
- 4-6年目(某文系図書室編) |
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今日も研修日。図書館関連業務は、少しだけ。というわけで、本日もノーカウント・デイ。
本日はロジカルシンキングがテーマだった、らしいですが、どの辺がロジカルシンキングなのか、まったく分からないまま一日終了。何をしていたのでしょうか…。普通に当たり障りない時間。ある意味、無駄時間かもしれません。まあ、リフレッシュタイムということにしておきましょう。以前の部署にいるときにこの研修を受けていたら、きっと菜の花、ぶち切れですね。時間返せー!!!って。でも今の部署だと、そこそこ余裕なので。菜の花の心も広くなります。ええ。お仕事で大切なのは、このゆとりですねー。
…ということをあらためて実感した日。
そうそう、本日の研修で「そうだなー!」と思った内容がひとつありました。
それは、常に確固とした理想を心に思い描いている必要がある、ということ。「問題」というのは、「あるべき姿」と「現状」のギャップのこと、自分の中にある理想形がなければ、問題として認識し得ない、ということ。
例えば、窓口で何かを問い合わされたとき、「分かりません」と投げ出し、利用者さんを追い返してしまうような場面。「あ、帰っちゃったー」で終わっても、利用者がいない=仕事は終わり、という発想だったら、ここに「問題」はありません。でも菜の花は、もしも猶予してもらえるならば「調べるための更に詳しい情報と、時間を下さい」と利用者さんを引き止めてでも食い下がりたいと思います。問い合わせに対して、代替のツールの提示でも何でも、とにかく何かしらの情報を利用者さんに渡したい、というのが菜の花の心に描かれている、窓口業務(というかレファレンスカウンター)の理想形だからです。そのため、「分かりません」は菜の花の中では「問題」として認識されるのです。
というわけで、「問題とは」というのは、言われてみれば確かにそういうものかも、と。
それで、何かの問題を見つけたときには、一瞬立ち止まって考えてみなければならない、と気付きました。もしかしたら、そこでギャップを感じている「理想形」は、菜の花の独りよがりのものである可能性もあるからです。それは菜の花の理想であって、万人の理想ではないのかもしれない、そういう状況もありえるのだな、と。問題を論理的に考える上では実はこれも、重要な事柄かもしれないと思いました。ただ、この研修での「論理的説明」というのはまったく意味が分かりませんでしたが…。
なかなか素敵な「気付き」でした。
それにしても、研修で周りを見回していて思ったのは…うちの大学、大丈夫ですかね…ってこと。ひとりひとりの能力は恐らく高いと思うのですけれども、職場風土と組織・制度的に見ると、ありえないくらい駄目そうです。更にその駄目そうな感じに気付いていないあたりが、目も当てられないと申しますか。それで、恥ずかしいとか、何とかしなくちゃ、ということにならないのかー、むしろ凄いな!と。結局、日々のルーチンワークに忙殺されると、こうなっていくのだな、というのがよく分かります。まあ他人事だから菜の花もいえるだけで、菜の花自身の置かれた立場だって、きっと外から見れば同じようなものなのではないかと推測。立ちはだかる問題から目を逸らしている、というか。うーん、客観視って難しいです。もっともっと情報収集して、新たな視点を取り込んでいきたいもの。
本日はロジカルシンキングがテーマだった、らしいですが、どの辺がロジカルシンキングなのか、まったく分からないまま一日終了。何をしていたのでしょうか…。普通に当たり障りない時間。ある意味、無駄時間かもしれません。まあ、リフレッシュタイムということにしておきましょう。以前の部署にいるときにこの研修を受けていたら、きっと菜の花、ぶち切れですね。時間返せー!!!って。でも今の部署だと、そこそこ余裕なので。菜の花の心も広くなります。ええ。お仕事で大切なのは、このゆとりですねー。
…ということをあらためて実感した日。
そうそう、本日の研修で「そうだなー!」と思った内容がひとつありました。
それは、常に確固とした理想を心に思い描いている必要がある、ということ。「問題」というのは、「あるべき姿」と「現状」のギャップのこと、自分の中にある理想形がなければ、問題として認識し得ない、ということ。
例えば、窓口で何かを問い合わされたとき、「分かりません」と投げ出し、利用者さんを追い返してしまうような場面。「あ、帰っちゃったー」で終わっても、利用者がいない=仕事は終わり、という発想だったら、ここに「問題」はありません。でも菜の花は、もしも猶予してもらえるならば「調べるための更に詳しい情報と、時間を下さい」と利用者さんを引き止めてでも食い下がりたいと思います。問い合わせに対して、代替のツールの提示でも何でも、とにかく何かしらの情報を利用者さんに渡したい、というのが菜の花の心に描かれている、窓口業務(というかレファレンスカウンター)の理想形だからです。そのため、「分かりません」は菜の花の中では「問題」として認識されるのです。
というわけで、「問題とは」というのは、言われてみれば確かにそういうものかも、と。
それで、何かの問題を見つけたときには、一瞬立ち止まって考えてみなければならない、と気付きました。もしかしたら、そこでギャップを感じている「理想形」は、菜の花の独りよがりのものである可能性もあるからです。それは菜の花の理想であって、万人の理想ではないのかもしれない、そういう状況もありえるのだな、と。問題を論理的に考える上では実はこれも、重要な事柄かもしれないと思いました。ただ、この研修での「論理的説明」というのはまったく意味が分かりませんでしたが…。
なかなか素敵な「気付き」でした。
それにしても、研修で周りを見回していて思ったのは…うちの大学、大丈夫ですかね…ってこと。ひとりひとりの能力は恐らく高いと思うのですけれども、職場風土と組織・制度的に見ると、ありえないくらい駄目そうです。更にその駄目そうな感じに気付いていないあたりが、目も当てられないと申しますか。それで、恥ずかしいとか、何とかしなくちゃ、ということにならないのかー、むしろ凄いな!と。結局、日々のルーチンワークに忙殺されると、こうなっていくのだな、というのがよく分かります。まあ他人事だから菜の花もいえるだけで、菜の花自身の置かれた立場だって、きっと外から見れば同じようなものなのではないかと推測。立ちはだかる問題から目を逸らしている、というか。うーん、客観視って難しいです。もっともっと情報収集して、新たな視点を取り込んでいきたいもの。
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プロフィール
HN:
菜の花
性別:
女性
職業:
大学図書館職員11年目
趣味:
読書、アニメ、ゲーム、Alto&Tenor Sax
自己紹介:
理系院卒の大学図書館員。産休・育休を1年挟み、ついに採用11年目。「参考調査担当」(3年間)→「某文系図書室(主担当:和洋図雑の目録)」(3年間)→「某資料室(主担当:総括&和洋図雑の目録)」(2年10ヵ月)→産休・育休(1年2ヶ月)→「閲覧担当」(2016年4月~)
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